From 佐藤睦朗(2)

私が保苅実君と最初に出会ったのは、1992年4月上旬のことでした。当時私は大学4年生、彼は3年生でした。藤田ゼミの選考日であったその日、スーツ姿で緊張した3年生が藤田研究室の前でゼミ面接を待っているなか、一人定刻から少し遅れて普段着の男性がふらりと現われ、笑顔で一言、「ここ藤田ゼミの面接場所ですよね!」。それが保苅君でした。私の場合、最初に会った状況を覚えていることは稀なのですが、この保苅君との最初の出会いは、18年も経過した今でも鮮明に記憶しています。その時の屈託のない笑顔も。

保苅君の笑顔といえば、もう一つ忘れられないシーンがあります。1996年1月、私は博士課程一年、彼は修士課程二年で、修士論文を提出した直後でした。藤田ゼミ(大学院)で修士論文の概要(後に『歴史学研究』に掲載された論文は、この修士論文が基になっています)を報告した際に、彼が伝統的な歴史学の手法で修論をまとめたものの、それを超えた何かを模索しているように感じられました。その模索の方向性が、清水透先生のご研究と似ているかもしれないと思いました。私は大学4年生の時に、清水先生の講義を拝聴して、大変感銘を受けていました(保苅君は、学部生時代に清水先生の講義を受ける機会を逃していました)。そこで清水先生のご著書である『エル・チチョンの怒り―メキシコにおける近代とアイデンティティ』―』(東京大学出版会、1988年)を、ゼミ終了後に大学院生の研究棟に戻ってから、保苅君に貸してあげました。すると翌日、彼は (大学院生共同の)研究室を訪ねてきて、「一気に読みました。この本、僕も買います。僕が目指す研究方向ですよ」と言いながら返却しに来てくれました。その時の嬉しそうな笑顔を、私は今でも忘れずに覚えています。

その後はお互いが海外留学をしたこともあって、少しずつ接点が少なくなっていきました。それでも、保苅君は定期的にメールを送ってきてくれました。そこからは、いつも笑顔が絶えない感じでした。今、私の研究室の机には、笑顔の保苅君の写真があります。あの時の笑顔が、ここにあります。

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