Archive for the ‘4. High School’ Category

From 清野桂子

Friday, August 20th, 2010

まず最初に覚えているのは、晴れて新潟高校に入学した初日のことでした。担任の宮田先生が、「この中で在校生か卒業生に兄弟姉妹がいる者!」と手を上げさせました。私も2才上の姉が在学しておりましたので挙手しましたが、保苅くんも手を上げました。宮田先生が「あの保苅の弟か。ふんふん」と意味深なうなずきと笑みを浮かべたのをよく覚えています。保苅くんは「その笑顔はどういう意味ですか!」というようなことを笑いながら言ったと思います。最初から先生と物怖じせずに話せるというだけで、私には驚きでした。他にも何人か挙手した生徒はいたのですが、宮田先生が強く反応したのは保苅くんだけだったように思います。

彼は最初からとても目立っていて、新潟高校にはすごい人がいる!と15歳ながらに感じ、その後もずっと、あこがれと尊敬と不思議さが入り混じったような感情で保苅くんを見ていました。

まだ1学期だったと思いますが、休み時間に何かちょっとしたことで保苅くんと話す機会がありました。話の内容は残念ながら忘れてしまいましたが、私が何か一言言ったのを1とすれば、保苅くんの返答は10くらいあり、論理的でありながら私の全く予想のつかない見地からの意見を軽く返されて、心の中で「この人と言い合っても絶対に勝てない」と強く思ったのを覚えています。

保苅くんを再び目にしたのは、大学時代の就職活動の頃です。「リクルート」という就職活動をする大学生向けの雑誌に、保苅くんが載っていました。こんな学生もいる、といった「フロントランナー」的な扱いで、あいかわらず保苅くんはとんがってるなぁ、と感じると同時に、やっぱり新潟ですごいだけではなく、東京でもすごい奴だったんだ、将来絶対に大物になるに違いないという思いも新たにしました。

From 母・保苅桂子

Monday, May 10th, 2010

>> 息子・実との思い出

彼の幼い日々は好奇心と楽しさに溢れていました。幼い頃から彼の心も体も束縛を嫌い、ボタンのない洋服を好み、庭ではいつも裸足で遊んでいました。てんとう虫や蟻と終日遊び、金色の蜘蛛を見つけて興奮し「お母さん土ってとっても暖かいんだよ。裸足になったことのない人には、この暖かさは分からないね」と、得意そうでした。

夜,ベッドに入ってからも「今日の月はとってもきれいだよ。見てごらん」と、階下にいる私達に声をかける子でした。絵画展でもコンサートでも彼はとても静かでした。本も沢山読みました。小学校4年生時、彼が感動した本の著者「灰谷健次郎」の講演会にも行きました。海で泳ぐのも大好きでした。活発でしたが思慮深く好奇心旺盛なとても楽しい子供でした。

小学5年生の時には歴史の授業で習った「金印」が見たいと、東京上野の国立博物館まで一人で鈍行に乗って行きました。少し不安そうにしていたので「目と耳と口があれば何処にだって行けるよ」と励ますと「じゃあ鼻はいらないね」と、笑いながら出かけていきました。朝と夕で代わる乗客の様子、清水トンネルの中にある駅の話・・・、そんな話を聞くのが私は大好きでした。だから校則に違反しても、彼のやりたいということは何でもさせてやりました。夜中の3時に起きて、長いサオを背に1時間も自転車をこいで魚釣りにも行きました。「まるで佐々木小次郎だね」とからかったことが昨日のことのように思われます。中学生のときには佐渡1周の自転車旅行もしました。

高校の合格発表を見たその足で、彼は京都・奈良の一人旅に出かけました。清水寺から「開場と同時に入った寺には僕ただ一人。すがすがしさと静けさの中で感動のあまり涙が溢れた。この旅を許してくれた両親に感謝したい」というのが彼の第一声でした。京都の寺々の庭の美しさにも感動の声を上げていました。梅原猛の「法隆寺の秘密」を読み、本を持参して行った法隆寺からの報告は、夢殿のこと、聖徳太子のこと、宿坊のおばさんのこと、貸し自転車で廻った奈良の寺々のこと・・・、彼の報告は興味と感動に溢れた本当に楽しいものでした。彼は何でも話してくれました。会話の多い家庭でした。

新潟は狭いといって東京の大学で学び、日本も狭いとオーストラリアに飛び、広大な大地で一心不乱に学び、遊び、彼はまるで風のように爽やかに私の元から去って行ってしまいました。彼の何ものにも束縛されない柔らかな精神はあらゆるものを吸収し、人を、自然を、大地を、月を、星を・・・全てを愛する豊かな人となりました。彼の最大の幸せはアボリジニの人々に出会ったことでしょう。

彼の人間関係に上下はありませんでした。親戚の叔母さんの話もおじいちゃんやおばあちゃんの話も、彼は誠実に聞きました。豊かな精神性を持った彼の文章が美しいのは当然です。私はもう二度と彼のような若者に出会うことはないでしょう。

もし病を克服出来たなら学問とは全く関係ない本を書きたいと、病床でその構想を楽しそうに語っていました。書いて欲しかった、読みたかったと、思うのは私だけではないでしょう。