From 永山のどか

May 10th, 2010

私は一橋大学の藤田幸一郎先生のゼミで保苅さんのお世話になりました。ただ私が大学院に進学したのは、2000年ですので、保苅さんは既にオーストラリアにいらっしゃいました。実際にお会いしたのは、途中帰国なさってゼミに参加されていた4~5回だったと思います。回数としてはあまり多くはないのですが、保苅さんの「登場」は私にとって強烈なものでした。

保苅さんはゼミの報告で、オーストラリアのアボリジニへの謝罪問題について「連累」の重要性をテーマにお話なさいました。保苅さんは「連累」という概念を学問的に説明して下さいましたが、実生活のレベルでは(保苅さんが皆に贈って下さった手紙にも書いてあった)人と人とが「繫がる」ということを意味しているのだと思います。広い視野をもった報告だと、先生が感心されたのを今でもはっきり覚えています。また、声がとても大きかったこと、報告の途中の区切りの良いところで、ペットボトルの飲み物をごくごくと飲んでいらっしゃったことも覚えています。飲み終わりに「はあ」と気合を入れ直して、報告再開です。

保苅さんがゼミに参加されていた時は必ず、その後に食事に行きました。保苅さんがゼミの皆に声をかけてくれるのです。藤田ゼミは今でも1年に1~2回懇親会を開くのですが、そのきっかけを保苅さんが作ってくださったのだと思っています。

また、去年、国立駅のホームで『ラディカル・オーラル・ヒストリー』を真剣に読んでいる男性(学生だと思います)を見ました。

From M.S.

May 10th, 2010

あれは私が高3の受験シーズン真っただ中、保苅さんは大学2年のときのことです。私は大学受験の滑りどめで受けた、ある私立大学に不合格となりました。教師や親に、どうしたんだ!と責められ、行き場をなくした私は保苅さんに電話しました。

「S女子大落ちちゃったんです。。。」すると、保苅さんは驚いた風もなく、「で、どうするの?」といいました。「え?」慰めでも激励でもなく、「どうするの?」という質問が返ってくるとは思いもせず、動揺しました。「で、どうするの?S女行きたかったの?第一志望はそこじゃないでしょ?」「うん。」「そう、第一志望までまだ日があるんだから、それ目指して頑張ればいいだけじゃん。」

目の前がパッと明るくなりました。そうだった。変に慰めたり叱咤する周りの大人たちに惑わされ、自分が何を目標にしているのか見失いかけていた私に、保苅さんは、今何が必要なのかを考えさせてくれました。

結果は、なんとか第一志望に合格。要は自分、という、保苅さんのスタンスを私の中で確固たるものにした出来事でした。

From 酒井順子

May 10th, 2010

保苅さんにお会いしたのは、2002年か3年のことでした。最初は、慶応大学の松村高夫先生のゼミで保苅実さんの発表を聞き、そして、その後だったと思いますが、私の指導教授だったポール・トンプソンが慶応大学の招聘で日本に来たとき、慶応大学でのセミナー、東京外国語大学のシンポジウムでお会いしました。確か、この3回だけだったとおもいます。

慶応でのセミナーにおいて、白蛇の話や洪水の話を聞いたときには、私自身がイギリスでのライフストーリー・インタビューによるオーラル・ヒストリーの枠しか知らなかったので、よく理解できなかったかもしれません。しかし、実さんの情熱的な語り口、そしてオープンな話しかた、そしてなぜか髪の一筋が赤くなっていて、とてもおしゃれな感じがしたのが印象的でした。とにかく、強烈な印象でした。

最初にあったとき、「僕の研究もオーラル・ヒストリーですよね?」とおっしゃったので、「オーラル・ヒストリーを狭く定義する必要はないと思います」といったような、私の指導教授がいつも言っていたことを繰り返したことを覚えています。

その後、自分自身も頼まれて、口述文化について書くことになったとき、イギリスのオーラル・ヒストリーの先駆者、「ジョージ・ユアート・エヴァンス」の作品を読む機会がありました。彼の著作の中に、「成長する石」の話が出てきます。その石は19世紀に掘り出された石で、発見された当初はこぶし大だったのですが、毎年、成長し、今では2メートルぐらいの石になっています。村人は、その両端が少し浮いている石について、「去年は猫が石の下を通ったけれど、今年は犬が通ったと話していた」そうです。

もし、保苅さんの本を読んでいなかったら、私はこの石にさほど興味を惹かれなかったと思います。その石の話の意味を探りたいとおもって、私はサフォークのその村まで訪ねていってみました。結論としては、20世紀に入っても相対的に遅れた地域の村人が、石だらけの農地を耕していた苦労を象徴する話だったのだろうとおもい、自分の解釈を論文の中に書いてみました。

もちろん、保苅さんのように深い考察にはなっていませんが、それでも、保苅さんの研究が私たちに与えたインパクトはとても大きかったと思います。もし、ご病気になられなかったら、もっともっと私たちにインパクトを与えてくれたことと思います。

道半ばにして倒れられた保苅さんの無念はとても強く伝わってきますが、私たちにもとても無念な気持ちを持たせた人だと思います。

From 野上元

May 10th, 2010

「今日はコピーデー。朝から晩までコピーをとる日」といって、大学のコピーセンターに本を積み上げて、コピーをとっていました。で、それがめんどくさそうかと思うと、そうでもなく上機嫌に見えるのです。ヘッドフォンで音楽を聴きながらやっていたからです。大量のコピー(全部英語)をその後読むことを考えると、「コピーデー」は、むしろ彼にとって、好きな音楽を一日中聴いていられる、貴重な息抜きの時間でもあったように思います。私にとって、合理的な彼の考えと、飄々とした彼の姿とが重なる、そういうエピソードです。